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社員紹介

INTERVIEW

小湊鐵道の人たちは素直で、素朴で、真面目。
だから、惹かれる。

「役員室付CCO(チャレンジ!最高責任者)」の肩書を持つ野田は、小湊鐵道のいわゆる「プロパー」ではなく、外部のコンサルタントである。つまり他にもいろいろな企業から請われる存在なのだが、言葉を選ばず言えば、野田は小湊鐵道に「肩入れ」している。なぜそこまで入れ込んでしまうのか、そのワケを率直に語ってもらった。

野田武志

野田武志

小湊鐵道株式会社
役員室付CCO
(チャレンジ!最高責任者)

経営陣の「本気さ」を感じたから、コンサルを引き受けた。

野田さんは小湊鐵道にとって、いわゆる「外部コンサルタント」になると思います。具体的にどんな「コンサル」をされているのでしょう。

これまでやってきたことは、本当に「いろいろ」です。最初のきっかけは、卓生副社長がおられた食品メーカーと小湊鐵道がコラボして、小湊鐵道直営カフェスペース「こみなと待合室」の看板メニューをつくろう、という話をいただいたことでした。

その当時は、今の肩書きではなかったのでしょうか。

その時はコラボ相手の食品メーカーにコンサルタントとして関わらせてもらっていたので、私にとって小湊鐵道は「クライアントの提携先」。その流れで、小湊鐵道に「栗の植樹をしましょう」「その栗を使って地方の名産品を作りましょう」「観光資源を自ら創造しましょう」などと提案させていただいていたら、晋平社長と卓生副社長に「小湊鐵道でも仕事をしてもらえないか」というありがたいお話をいただきました。2020年の話です。

コロナ禍が始まった頃ですね。

そうですね。世の中全体が逆境に晒されている中でしたが、そんな中で私に「仕事をしてもらいたい」とツートップから請われたということは、漠然とですが「これまでのやり方ではなく、新しいやり方で小湊鐵道を盛り上げてもらいたい」と期待されているのかな、と思いました。ツートップからは「小湊鐵道を変える」という熱を感じましたしね。

どんな「熱」を感じたのでしょう。

一言で言えば「本気さ」ですね。鉄道やバスという地域の生活インフラを支える企業である以上、これから先100年も200年も事業を続けていける会社にならないといけない、という本気さを感じました。私の側からすれば、コンサルティングを引き受けるというのは「人生をベットする(賭ける)」ようなものですから、ツートップから本気を感じなければ引き受けられないし、もしそんな「本気さ」を感ぜずに引き受けたとしたら、金銭面などの条件だけを前提とした契約になってしまったのではないかと思います。

ということは、野田さんも「本気」で小湊鐵道に関わっているのですね。

そうですね。最近では部長クラスの方々を集めた定例の会議で、司会進行役を務めています。

どんな内容の会議なのでしょう。

一言で言えば、「みんなが経営者になる」を目標とした会議です。各部門で「これがこうで大変だから」と言い訳するのではなく、かつ自分の部門さえ良ければいいと言うのでもなく、会社全体を良い方向へ向かわせるには、それぞれの部門で何をすればいいか、みんなで共有しながら考え、話し合い、決めたことを実行していきましょう、という内容の会議になっています。ちなみにそこには、晋平社長と卓生副社長は参加しません。

あえて経営陣は参加せず、自分たちで経営者としての考え方を醸成させていこうということですか。

そうですね。経営陣がいて発言してしまうと、それが答えになってしまいますから。

これまでのプロセスがあって、今の自分が形成されている。

野田さんがコンサルを引き受けている小湊鐵道も、卓生副社長のいた食品メーカーも、いずれも千葉の会社です。もともと千葉に縁はあったのでしょうか。

自分は大阪出身ですが、妻が千葉出身の人。3人の子どもたちは千葉で生まれていますから、家族もろとも「千葉ネイティブ」という縁があります。30代から40代の前半にかけて家族には迷惑をかけたので、これからは家族の近くで、家族に縁の深い千葉に貢献できる仕事がしたいと思っていたというのも、小湊鐵道のコンサルティングを引き受けた理由の一つです。

「家族に迷惑をかけた」というのは?

20代の頃、社員の8割くらいが当時の私と同世代の若い人ばかりで「近い将来、IPOを果たそう」「創業者利益をみんなで分配しよう」というような、いわゆる「ゴリゴリ」な会社で働いていました。その会社で新規事業として「コンサルティング事業」を立ち上げることになり、そのリーダーを任されたのが「コンサル」との最初の出会いだったのですが、3年ほどでその事業を成長させ独立した後、個人商店のような形でコンサル業をやっていたわけですが、当時の私は人を育てるのが下手で、協力パートナーにも「チャンスを与えるから結果を出せ」というような、上から目線な接し方しかできなかったんですね。悪いことに、家族にも同じようなスタンスで接してしまっており、妻や子どもたちを悩ませていたんです。その時は自分が悪いとは思っていなかったんですが、状況が好転しないことに私も悩み、滅多なことで連絡を取ったことのなかった母親に相談したんですね。

お母様は、何と?

状況を説明したところ、母親は「細かい事情はわからないけど、少なくともお父さんは私にそんな心配させるようなことはなかったよ」と言いまして。その一言で、目が覚めたような感覚になりました。

目が覚めて、どう変わったのでしょう。

仕事をする中で、自分を律するなら自分に厳しくすれば成長も感じられるでしょうが、他人に成長を求め「自身を律せよ」と求めるときに、自分に対するのと同じように厳しくしてもダメだと。当たり前ですが、自分と人とは違う人間なんだ、ということにようやく気づけた感じでしたね。

そのスタンスは、今の野田さんのコンサルティングスタイルにも通じるものがあると?

そうですね。例えば部長クラスの方々が集まる会議で、晋平社長や卓生副社長が厳しいことを言ったら、あわや「パワハラ」になってしまいかねない。だから代わりに私が厳しいことを言うのですが、その前段で晋平社長や卓生副社長には「こういうことを伝えますから、よろしくお願いします」と共有する。なんだかネタバレみたいな話をしていますが(笑)。小湊鐵道という会社を良くするために、自分がこうしてもらいたいと思うことを伝え、伝えた相手に納得してもらえるように促すには、一人でどうにかしようとせず、同じ方向を向いている人と一緒に力を合わせればいい、という考え方にシフトチェンジしましたね。

それって「自分を変えた」ということですよね。言葉では簡単ですけど、なかなか難しいことだと思います。

振り返ってみると、今まで自分がたどってきたプロセスが全て、自分を変えて成長させることに繋がっていたように思います。「ゴリゴリ」の会社で数字至上主義を体験し、それが果たして本当の幸せなのか?と疑問に思って独立し、一人でジタバタしていたら何事もうまくいかず、家族にも迷惑をかけてしまった。そして自分と家族のいわゆるQOL(Quality Of Life)を向上させたいと思って千葉に根づいた仕事をしようと考え、小湊鐵道と出会うことになった。人それぞれ、いろいろなプロセスがあると思いますが、そのプロセスがあったからこそ、今の自分があるのだとつくづく思います。

「地方創生」「地域活性」をきれいごとにせず、成し遂げる。

「自分を変える」プロセスの中で出会った小湊鐵道は、野田さんの目にはどんな会社と映っているのでしょう。

素直で素朴な人しかいない会社、という印象です。そして真面目。全て褒め言葉として捉えていただきたいですが、晋平社長と卓生副社長も、素直・素朴・真面目の三拍子が揃っている魅力的な人たちです。そんなツートップと、社員のみなさんであれば「地方創生」とか「地域活性」といった言葉がきれいごとではなく、本当の意味で成し遂げられるのではないかと感じています。

「地方創生」「地域活性」を本当の意味で成し遂げるために、今、取り組んでいることはありますか。

特に力を入れているのが、乗務員の採用です。鉄道やバスといった公共インフラを担う企業なので、乗務員が鉄道やバスを運行してくれて、初めて売上げが立ちます。ある意味で乗務員の存在は「大切な商品」とも言えます。業界で「2024年問題」と言われている外部環境の変化に対応するためにも、今のうちから乗務員の採用はさまざまな方法を試し、採用成功へ導く必勝パターンを確立させておくことが不可欠だと考えています。

「必勝パターン」は、ある程度見えてきているのでしょうか。

いやあ、まだまだトライアンドエラーの真っ最中という感じですね。トライアンドエラーを繰り返す中で、これはうまくいった、これはダメだった、と経験を積み重ね、チャレンジの質を上げていく試みを、根気よく継続していくしかないなと思っています。

「乗務員は大切な商品」という発想は、面白いなと思いました。

「人間をモノみたいに扱うな」とお叱りを受けるかもしれませんが、私の中では「商品」がなくては、企業活動は成り立たなくなるのだから「大切」だと表現しているわけです。企業活動を成立させるということは、沿線住民の方々の生活インフラを支えている小湊鐵道という会社を持続可能な存在にするということでもありますから、良い意味として捉えていただけたらいいですね。

持続可能にならないと、鉄道やバスを利用されるお客様が困ってしまいますよね。

まさにそれです。だから乗務員の採用にも力を入れるし、それ以外の収益を上げられる事業の開発にも力を入れて、持続可能性をとことん追求していかないといけない。これまで私が企画・運営を手がけたもので言うと「貨客混載」と言って、バスの座席に近隣の農家さんが収穫した野菜を載せて運ぶ事業とか、はたまた「こみなと待合室」で販売するなど、お持ち帰りのできるアイテムとして「安全第一カレー」という商品を企画して販売する事業を始めたり、さらには成田空港へのアクセスができる新路線開設の話が持ち上がっているから、そのサポートをしてみたり。あの手この手で、小湊鐵道の未来を切り拓こうと、必死になっているところです。

日本全国の「ローカル鉄道」を救うフォーマットを作りたい。

小湊鐵道の未来を、野田さんは具体的にイメージされているのでしょうか。

小湊鐵道がカテゴライズされるのは、いわゆる「ローカル鉄道」だと思います。この「ローカル鉄道」は、残念ながら「衰退産業」と呼ばれてしまうような事業領域だとも思っています。しかしながら、逆に考えれば「衰退産業」とは、イノベーションの可能性が十二分にある事業であるとも私は考えています。だから私の中にある小湊鐵道の未来イメージは明るいし、今とは違った形になっているのではないかとも考えています。

今とは違った形というと?

これは私の勝手な想像ではありますが、これから小湊鐵道は「ローカル鉄道」が生き残っていくためのフォーマットを確立させていくと思っています。そうなれば、日本全国の「ローカル鉄道」に、そのフォーマットをいわゆる「横展開」していくことができるのではないかとも思っている。なんならM&Aを積極的に行って、グループ会社を全国に展開できるのではないかと想像すると、なんだかワクワクしてきます。

確かに、そんなことはあまり聞いたことがありませんね。

もしそんなことが実現できたら、小湊鐵道から全国各地の「ローカル鉄道」に、社長を送り込むなんてこともできるかもしれませんよね。小湊鐵道だけだったら一人か二人しか社長になれる人が現れないでしょうが、全国に小湊鐵道出身の社長がたくさん誕生するということになったら、すごくないですか。

はい、すごいことです。

そうなれば小湊鐵道が発信者となって、日本全国の「ローカル鉄道」が救われ、その沿線住民の方々の生活インフラを守ることができる。こんな夢のあるビジョンを描けて、その実現に向けていろいろな試みができると思うと、小湊鐵道という会社が面白い存在に思えてきませんか。

そうですね、これから小湊鐵道の仲間になる方も、ワクワクすると思います。

もちろん、今は過渡期にあると思います。そんな大きなビジョンを掲げながら、足元の事業をしっかり整え、持続可能なものにしていく。誰一人、取り残されることなく、みんなが活躍できるような環境づくりを着実に進めていきたいと思っています。

今日は長い時間、どうもありがとうございました。

(インタビュアー)
高藤悠子 プロビティ・グローバルサーチ株式会社 代表取締役
慶大卒。新卒でメーカーへ入社後、人材紹介会社へ転職。外資・IT大手などを担当し、若手からエグゼクティブまで幅広い人材の紹介業務に従事。その後、JACリクルートメントのタイ現地法人へ転職し、執行役員としてスタートアップに対応。2012年の帰国を機にプロビティ・グローバルサーチを設立、現職に就任。現在に至る。